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「セックスない結婚は呪い」

インターネットサーフィンをしていて気になるヘッドラインがあった。

妻HIV感染 夫が離婚要求「セックスない結婚は呪い」

妻のHIV感染が判明し夫が逃げていく、と言うケースを耳にするケースはよくあるが、夫が「きちんと」離婚を求め、さらに読み進めていくと、裁判所が離婚を認めたという。これは、今まで聴いたことがなかった。

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 ニューデリーの婚姻裁判所は1日、妻がエイズウイルス(HIV)に感染しているとして、離婚を求めた夫の訴えを「セックスのない結婚は呪いだ」として認める判決を出した。2日付のインド各紙が伝えた。
 裁判所は理由を「HIVは性感染するため、夫は幸福な結婚生活を送れなかった。セックスは結婚に不可欠の一部だ」とも説明した。
 インドには、国別で世界で3番目に多い推定250万人のHIV感染者がいる。判決に感染者支援の活動家から「一般社会のHIV感染者への認識にマイナスの影響が出る」「妻にも家庭生活を送る権利がある」などと批判が出ている。
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2007年11月02日22時13分
http://www.asahi.com/international/update/1104/TKY200711040111.html
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気になったポイントは3点ある。
・「呪い」とはいったい何か
・「セックスは結婚に不可欠の一部だ」
・批判が出ていること


「呪い」とはいったい何か
「のろいだなんて、インドの人は遅れてるなぁ・・・」とかお馬鹿なことが言いたいわけでは当然なく、この呪いというものが彼らにとってどういった事象を指すものなのか、非常に興味がある。というのも、私の修士のテーマの候補のひとつとして、Papua New Guineaに暮らす人々の疾病観、特にエイズに関するそれを探り、PNGのエイズ対策に反映させる、というものがあり、彼らもまた「呪い」を持つ文化であるためだ。(11月後半より結局行くことになりました。VISAがおりた^^)
先進国と彼らと暮らしてきた文化が違うのであるから、世界観、疾病観は当然違ってくる。違うから対策は難しいのだが、その違いを理解することができるようになれば、逆にそこをターゲットにすることも可能になってくる。

「セックスは結婚に不可欠の一部だ」
というフレーズに、不思議な聞こえはそんなにはない。もちろん夫婦の性がどうあるべきか、ということは夫婦の間だけで決めればいいことであるが、夫婦生活の根幹をなすことのうちの一つであることは間違いがないし、セックスが結婚に不可欠の一部かどうかで意見が食い違って、離婚に至るというケースがあってもそんなに不思議ではない。それにもかかわらず、

批判が出ていること
を私たちはどう理解すればいいのだろうか。今回、批判しているのは、「感染者支援の活動家」と出ているのだが、この人はいったい誰なのだろうか。途上国の人だろうか。HIV-positiveの人だろうか。
確かに今回の判決により、「一般社会のHIV感染者への認識にマイナスの影響が出る」のは避けられそうにもない。ほかにも同様のケースで離婚が増えるだろう。「妻にも家庭生活を送る権利がある」という主張もまた当然のように受け入れられる。ドラマ仕立てのストーリーであれば、妻が泣きながら告白すると夫がやさしく妻を包んで君に寄り添っていくよ・・・となるといいのだろうが、しかし、だからといって、妻のHIV感染を理由に離婚する男の決意を頭ごなしに否定するのはいかがなものだろうか。
そこに暮らす人がいて、それから初めてHIVに対しての活動が可能になる。HIV活動にあわせて人々は生きているわけではない。「活動家たち」の批判は本末転倒にすら聞こえるし、もし、彼らが先進国の人だったり、特権階級の人々だったりしたら、これは同時に非常にパターナリズムに満ち溢れていることになる。HIVとともに暮らすコミュニティを管理の対象としてみているのではないかと疑えてしまうのである。

日本で2000年に総務省によって「エイズに関する世論調査」が実施されており、そのなかに、配偶者がHIVに感染した場合の対応に関する質問があった。結果は以下の通りである。http://www8.cao.go.jp/survey/h12/h12-aids/2-2.html
「セックスない結婚は呪い」_e0074651_2544150.jpg
ご覧の通り「従来と同様の生活をする」と答えた者の割合が54.9%と最も高いものの、離婚を選択するものも少数ながら存在する。日本でこのまま離婚が成立するかどうかは別の話だが、とはいっても、離婚を希望するものはまちがいなくいるわけで、そうなると、すぐに離婚は認められなかったとしても、おそらく夫婦関係の破綻が生じ→離婚事由となるだろう。それと同じことが途上国には認められない、批判の対象になるというのは少しおかしな話ではないだろうか。

先進国に認められることは途上国にも認められるべきである。先進国に暮らしていると、彼らのことを「上から目線」で何かと見てしまいがちだが、忘れることなかれ、途上国は先進国の管理対象ではないのだ。


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▼今回の議論では、完全にコンドームが抜け落ちていた。果たしてコンドームをつけてのセックスが「呪い」になるかならないかの議論はあったのだろうか。
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▼裁判での離婚/民法
第770条(離婚原因)
① 夫婦の一方は、次の場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
 1 配偶者に不貞な行為があったとき。
 2 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
 3 配偶者の生死が3年以上明らかでないとき。
 4 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
 5 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
② 裁判所は、前項第1号から第4号までに掲げる事由がある場合であっても、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。
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▼インドのHIV/AIDSの状況
【Global Fund】
http://www.investinginourfuture.org/india/(英語)
http://www.jcie.or.jp/fgfj/03/03-2/india/(日本語)
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# by inoyo | 2007-11-07 03:05 | International Health

International Day for...

今日11月6日は、「戦争と武力紛争による環境搾取防止のための国際デー」だそうだ。UN広報センターのウェブサイトに表示される「今月の予定」にそう表記されていた。まぁ、そうとはいっても、この国際デー、何のことだか良く分からない。World AIDS Day(12/1)はよく耳にするが、こちらはあんまり聞かない。

実はこのへんてこな記念日、英語での名称をInternational Day for Preventing the Exploitation of the Environment in War and Armed Conflictと言うそうで、2001年の11月5日に、国連総会で、戦争によって引き起こされる環境破壊を危惧し、それを最小限に食い止めるために制定されたそうだ。(だったら、なんで5日じゃないんだ?)

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In taking this action, it (注:the General Assembly) considered that damage to the environment in times of armed conflict impairs ecosystems and natural resources long after the period of conflict, often extending beyond the limits of national territories and the present generation.
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昨年は、コフィアナン事務総長がこの記念日にコメントを寄せていて、その中で彼は、戦争の環境への負荷の大きさについて言及している。また、近年は、各国政府から戦争後の環境評価をUNEP(国連環境計画)に依頼するケースが増えているという。

たとえば、
・イスラエル
ヒズボラとの間の武力衝突が海洋の石油流出を起こし、漁業や観光へ大きな影響を与えた。
・スーダン
ダルフールで内戦が続くスーダンでは、戦闘の末に生じた火災により森林破壊、砂漠化が進行し、食糧供給の状況をより悪くしている。
・イラク
アメリカにより湿地帯を干拓されてしまったことにより生じた生態系の壊滅的な打撃。

このほかにも、劣化ウラン弾の環境への負荷も懸念されている。1991年の湾岸戦争以降に使用されはじめた劣化ウラン弾はコソボやアフガニスタン、またイラクでも使用され、地域住民の健康被害と共に環境への悪影響が一部で指摘されている。

戦争中の環境への配慮義務はジュネーブ条約にも明記されているが、戦闘中にはしばしばないがしろにされる。戦争自体に正当性を持たすことがなかなか難しい時勢ではあるが、ただでさえ少ない正当性をますます減らすような環境破壊は極力避けてもらいたいものだ。

▼アナンのコメント全文はこちらから

その他の国際デー
# by inoyo | 2007-11-06 14:14 | 日々雑感

今日のひとこと(63)

もちろん民主党にとって、次の衆院総選挙に勝利し、政権交代を実現して国民の生活が第一の政治を実行することが最終目標だ。私もそのために民主党代表として全力を挙げてきた。しかしながら民主党はいまださまざまな面で力量が不足しており、国民の皆様からも、自民党はダメだが、民主党も本当に政権担当能力があるのかという疑問が提起され続け、次期総選挙での勝利は大変厳しい情勢にあると考えている。
 その国民みなさんの疑念を払拭(ふつしょく)するためにも政策協議を行い、そこでわれわれの生活第一の政策が取り入れられるならば、あえて民主党が政権の一翼を担い、参院選を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営への実績も示すことが、国民の理解を得て民主党政権を実現する近道であると私は判断した。
 また政権への参加は、私の悲願である政権交代可能な二大政党制の定着と矛盾するどころか、民主党政権実現を早めることによって、その定着を実現することができると考えている。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/97130
---小沢一郎(代表辞任を表明した会見の中で示したその理由)

とりあえず、ひとつだけ。
「私の悲願である政権交代可能な二大政党制の定着」は今回の一件でまた遠のいた。ただ、このシナリオは、小沢さんの中にあったはずだ。さすがに、「気がついたら、遠くなっていた!わおっ!」みたいなことはないだろう。
すると、ここでポイントになるのは、今回の件で悲願が遠のいた以上に、民主党と「このままいる」ことがマイナスであるという判断を彼がしたということだ。そうなると、民主党の現状がどのように彼の目に映っているかは想像に難くない。
# by inoyo | 2007-11-05 03:43 | ことば

学生のためのアフガニスタン国際協力ワークショップ - アフガニスタン医療は、いま -

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第3回 学生のためのアフガニスタン国際協力ワークショップ
『- アフガニスタン医療は、いま -』

主催:東京大学医学教育国際協力研究センター
共催:jaih-s(日本国際保健医療学会学生部会)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■

東京大学医学教育国際協力研究センターでは、平成19年
11月6日から、6週にわたりアフガニスタンカブール医科大学等
の教員8名を、JICAとの協力プロジェクトによって研修にお招き
しています。
この機会を利用して、昨年に引き続き医療分野での国際協力
について、共にディスカッションする機会をいただきました。

当日は、アフガニスタンからの教員によるアフガニスタンの
医療と医療人材育成の状況説明、東京大学医学教育国際
協力研究センター大西弘高先生による医療人材育成を通じた
保健・医療の改善のほか、アフガニスタンでの経験豊富な
名古屋大学、明石秀親先生の講演も催されます。

皆様お誘い合わせの上お越し下さいませ。

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# by inoyo | 2007-10-22 10:53 | International Health

死の概念

死の概念_e0074651_17313853.jpg本郷三丁目のスターバックスを出ると、目の前で鳩が死んでいた。特に外傷があるわけでもなく、ポテンと「普通」に。

鳩に限らず、鳥が死んでいるところを見ることはなかなかない。私の人生の中でも、鳥の死体を目にしたのは、本当に数えるばかりである。犬・ネコなどの愛玩動物は飼い主がいるので、飼い主に葬ってもらえていて、私たちがその死体を目にすることがないのは当たり前だとしても、ハトを飼っている人は、ほぼ皆無だろうから、もっとたくさん死骸を目の当たりにしてもいいような気がする。特に、あれだけごみ置き場をたむろしているカラスを飼っている、なんていう話はいまだかつて聞いたことがないから、あのカラスたちの老後の行方は非常に不思議だし、もう少し道端に転がっていてもいい気がする。しかし、それを私たちが目にすることはほとんどない。

・・・という話を以前友人にしたら、動物には死の概念がなく、苦しければ自分が攻撃を受けていると認識し、身を隠すのだ、と話していた。それを思い出し、今さっきGoogleで検索したら、やはり同様の内容が出てきた。記事に因ると、ネコの場合、
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自分自身の死という概念を持っていないので苦しければ自分が攻撃を受けていると思ってしまう。その攻撃相手から身を隠そうとするのが当然の反応。身を隠してひとりになり脅威のもとが通り過ぎて苦しみが和らぐのを待つとあり、体調が優れないと本能的な防御反応として安全な場所に身を隠す。
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つまり、動物が身を隠すまもなく動けなくなる場合しか、私たちは、その死体を目にしないということなのだろう。そうなると、さしずめ心筋梗塞か、脳血管障害か。ちなみに、以上の内容は、Catwatchingという書籍に書いてあるらしい。しかも、トリビアの泉にも紹介されているとのこと。

この書籍ではネコの場合のみ言及しているのだが、鳥の場合も同様のことが言えるのかもしれない。立つ鳥あとを濁さず、とはこのことか・・・。
# by inoyo | 2007-10-21 17:47 | 日々雑感